私の愛くるしい人は自分の好きを突っ走っている。好きを突き進んで成功者にもなった。
そんな姿を見ながら、私はそこまで強烈な好きが思いつかない。何事も曖昧なまま、なんとなくこっち、なんとなくそっちじゃないという感じで、好きを追求する人生を送ってこなかった。
だからそれほど”好き”の熱量を実感できないまま毎日過ごしている。
そんな私の前で好きを強烈に主張されると、私にとってそれがそんなに好きじゃなかった時に何も言えなくなって悶々としてしまう。
悶々が積み重なって、だんだんと自分の感情を人前で出せなくなってしまった。そのうち、自分は何が好きで何が好きじゃないのかすらもわからなくなってきた。
好きな食べ物は?好きなアーティストは?好きな趣味は?何も即答できない。
それでもまあ好きかもね、好きじゃないかもね、という好みはもちろんたくさんある。
たくさんあるのに、黙ってるとどんどん忘れていく。だから忘れても見返せるように、できるだけ書き留めておこうかと。
酢飯と蚊柱は、セルフ仕分けコーナー。酢飯はまあ好きかも。蚊柱は割と好きじゃない。